輪島塗の歴史

能登の風土と、
ひとのつながりから
生まれた輪島塗

漆器といえば輪島塗、と連想される方も多いのではないでしょうか。
日本の漆器の代表といわれる輪島塗ですが、技法の確立は江戸時代で、都から離れた遠方の立地条件も重なり、京都などの名高い漆器産地との差別化をよぎなくされてきました。
他の漆器産地よりも遅く世に現れた輪島塗が、全国初の国の重要無形文化財の指定を受け、生産高日本一を誇るまでに成長を遂げた軌跡を、輪島塗の歴史をひもときながらみていきます。

輪島塗の魅力と取り扱い方 輪島塗ができるまで

輪島塗が
日本を代表する
工芸品として
評価される理由1.
“地の粉(じのこ)”
の発見

日本海に面した能登半島の北西に、輪島市は位置します。海と山々に囲まれたこの地で、輪島塗は誕生しました。日本海沿岸の湿潤な気候と、アテ(ヒノキアスナロ)、ケヤキなど漆器の材料となる木々の群生する地理的条件は漆器制作に適し、古くより漆器の作られていた痕跡があります。

しかし、輪島塗の起源については定かではなく、現存する最古の輪島塗は、輪島師・重蔵神社に保存されている室町時代の「朱塗扉」(1524年作)といわれています。
この頃の輪島塗は、能登で暮らす人々のために作られていました。江戸時代に入り、輪島塗は全国から脚光を浴びる存在へと姿を変えていきます。

太平の世が訪れ、購買力をつけた民衆は、生活で使う漆器を購入するようになりました。漆器の需要が増加するなか、寛文年間(1661年~1673年)に、輪島で“地の粉(じのこ)”と呼ばれる珪藻土が発見されます。

現在も輪島の職人しか使用が許されていない“地の粉(じのこ)”を、漆に混ぜて下地に用いた結果、輪島塗の強度は大幅に増しました。“地の粉(じのこ)”に加え、木地の弱い箇所を布で補強する“布着せ”を行う「本堅地技法」の確立により、輪島塗は「堅牢さ」を獲得します。丈夫さと剥げにくさを人々に評価され、輪島塗は生産高を増やしていくのでした。

輪島塗が日本を代表する工芸品として評価される理由1.“地の粉(じのこ)”の発見

輪島塗が
日本を代表する
工芸品として
評価される理由2.
塗師屋の登場と
分業制の実現

“地の粉(じのこ)”の発見により「堅牢さ」で他の漆器より抜きんでた輪島塗を求める声は、時代を下るにつれて大きくなりました。顧客からの注文を捌くために、輪島では独特の分業制が始まります。製品の出来上がりまでに124の工程をふむといわれる輪島塗を、製造工程ごとに専門の職人が担当する分業制が導入されたのです。

職人は、「木地師(きじし)」・「塗師(ぬりし)」・「研ぎ師(とぎし)」・「呂色師(ろいろし)」・「蒔絵師(まきえし)」・「沈金師(ちんきんし)」の六職に分かれ、その後、さらに細分化が進みます。このすべての工程をオーケストラの指揮者のように取りまとめるのが、私たち「塗師屋(ぬしや)」の仕事です。塗師屋という職業はほかの漆器産地には無く、輪島塗独自の文化として、今日まで継承されています。

この塗師屋を中心とした分業制により、輪島塗のそれぞれの工程の精度は上がり、職人たちの技術は磨かれていきました。自分の前後の工程を担当する職人への敬意を込めて、丁寧に仕事をする姿勢は品質向上にもつながり、緻密な美しさも評判を呼び、やがて輪島塗の名は、全国に広まっていきます。

輪島塗が日本を代表する工芸品として評価される理由2.塗師屋の登場と分業制の実現

北前船に乗り、
諸藩を旅する輪島塗

江戸時代に大阪と北海道を結ぶ北前船の運航が始まり、輪島塗は新たな輸送手段を得ます。その追い風に乗り、輪島塗は販路を拡大していきますが、輪島塗の製品としてのクオリティの高さを諸藩に知らしめたのは塗師屋でした。

現在と違いインターネットなどの情報伝達手段のない江戸期において、人の主な情報の入手方法は、手紙か口伝(くちづて)によるものでした。全国を行商する仕事柄、諸藩の内情や都の最新の流行にも詳しい塗師屋は、文化の伝播者として行商先で歓迎されました。
個人に移動の自由が少なかった時代、人々は暮らしに新しい風を運んでくれる存在として、塗師屋の訪問を待ちわびてもいました。「輪島様」と呼ばれていた事実からも、彼らの想いが偲ばれるようです。

塗師屋は輪島塗を購入する顧客の期待を裏切らず、新しい文化を紹介すると同時に、顧客から得たフィードバックをもとに、更なる品質向上と新たな販売方法を模索していきます。

輪天保二年(1831年)には、同業者組合「かふく講」(塗物製造工程、価格、違反者への罰則などを定めた)を組織しました。
また、高額な製品である輪島塗を購入しやすいように、「椀講(わんこう)」の販売方法を編み出しました。「椀講(わんこう)」は行商先で十人のグループを募り、抽選で一年に一人ずつ、皆の持ちよったお金で製品を手にいれる仕組みで、現在のクレジットに似た画期的な販売方法でした。
これらの地道な取り組みにより、現在に続く輪島塗のブランド力は形成されていったのです。                

北前船に乗り、諸藩を旅する輪島塗

輪島塗の行き先。
未来にむけて

「旅に出る」。塗師屋が行商に行くときに使われる言葉です。他の産地のように問屋を通さずに直接販売をした塗師屋は、一年の大半を旅の宿で過ごしていました。
江戸時代の塗師屋の生活スタイルは現在も継続されており、お客様との対面販売を得意とする塗師屋の販売網は、世界中に拡大しています。

かつては北前船に乗り、塗師屋は諸国(他の藩)へ旅立ちました。
海路は最も早い移動手段であり、当時の輪島の港は、現在のハブ空港(各地からの航空路線が集中し、乗客や貨物を目的地となる空港)に該当するでしょうか。
21世紀の塗師屋は飛行機に乗り、背中に荷物を背負う代わりにスーツケースを片手に、各国の空港に降り立っています。

お客様との座敷での語らいは、百貨店の催事場や海外の商品見本市へ場所こそ違えども、今も塗師屋と人々の間で行われています。インターネットの時代になっても、お客様のご要望を探り、カタチにするように努める、塗師屋のスピリットに変わりはありません。

作り手と使い手の、心のつながりから生まれる漆器。それが輪島塗なのです。

輪島塗の魅力と取り扱い方 輪島塗ができるまで
輪島塗の行き先。未来にむけて

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